そして、駐輪禁止となっている。毎朝、監視員の方達が駐輪された自転車を歩行の邪魔にならないように整理し、『駐輪禁止エリアのステッカー』を各自転車に貼って回っている。
貼られたステッカーは、容易に剥がれず、無理に剥がした後も、ステッカーの糊を完全に取ることは出来ない。
従って、何度も違法駐車している自転車には、ステッカーそのものか、あるいは剥がした後の糊の後が汚らしく自転車のフレームに遺されている。そのような自転車の数が異常に多い。
では、駅の近くに駐輪場はないのかといえばぺペ駐車場の地下が駐輪場になっており、月額3,000円そこそこで、そこに駐輪することが出来る。
さて、ペルソナが入っているビルは、一階の入り口ドアの前が、ビル使用者専用の駐輪スペースとなっている。一階の入り口ドアが、ビルの奥にあるため、ここの駐輪スペースは、雨が降っても雨に濡れない。
歩道に違法駐輪するとステッカーを貼られるし、一ヶ月に一度ぐらいは、強制的に自転車を撤去されるためビルの駐輪スペースに違法駐輪する(それも何度も)やからも居る。
ビルの駐輪スペースに違法駐輪する人には、中年の主婦らしき人がいるかと思うと、サラリーマン風の男性、高校生、大学生などなどさまざまだ。
こういうことを何度もやる人達って、人に見られなければ、倫理、道徳に反することの多くのことをやってしまうのではないだろうか。
つまり、自分さえ良ければ、自分さえ損しなければ、自分さえ不幸な目に遭わなければ、という価値観がかなり強い人達なのだろう。
全く良心の欠片もないとは思わない。それが証拠に、ビルの駐輪スペースから自分の自転車に乗って帰宅しようとする瞬間、私に見咎められでもすると、大体の人は下を向くか目線を逸らす。
多少なりとも良心が咎めるのだろう。
でも、こういう人達は、おそらく人としては、全く信用できないだろう。自分の為であるなら、簡単に人を裏切るであろうから。
違法駐輪を例にして、倫理、道徳観の欠如が年齢を問わず蔓延していることについて述べたが、違法駐輪はそれが顕在化したたった一つの例であり、ほかの例を挙げれば限りがないことは、いうまでもない。
社会を創っているのは、こういった人々を含めた一人ひとりの人間だし、日本という国を作っているのも、一人ひとりの日本人だ。
他人が見ていなければ、自分の為であるなら何でもあり、という人が増えれば増えるほど社会、ひいては日本という国家が危うくなるのはいうまでもないことだ。
では、日本と日本人をどう立て直していくのか、人間として、教師としてすばらしい人が独り居ればその周りの子供達は変わっていく。
確りとした倫理観、道徳観を持った人、日本人がひとりでも多く出ること。それには、こう言っている私を含めて一人でも多くの人々が『人間とはどうあるべきか、日本の文化、伝統は、そして日本人の歴史はどういうものなのか』等々を学び続け、そして実感することではないだろうか。
実感したその時におそらく自分は誰かの、何かの役に立つ存在であることが分かり、そういう存在である自分に恥ずかしくないように生きていかなくてはならないという自覚が生まれるのだと思う。
ジャーナリストの櫻井よしこさんの文章のなかに次のようなことが書かれていた。
「日本人としての自覚を取り戻した例です。あれは水泳の日本選手権大会だったと思います。一人の選手が優勝しました。彼はゴールすると、派手にガッツポーズするでもなく、雄叫びを上げるでもなく、静かにプールを上がり、きちんとした姿勢で深く一礼し、黙々と去っていきました。その控えめな態度には清清しい美しさがありました。
後でコメントを聞いて、なるほど、そういうことかと思いました。
彼はこのところ成績が振るわなかったそうです。どうしても勝てません。コーチが悪い、環境が悪いと原因を転嫁していました。そうなると不満ばかりが募ります。
最近になって武道に接する機会がありました。一心に打ち込んでみて一つのことに気づきました。原因はすべて自分の中にあるということです。それは彼が日本の伝統を実感した瞬間といえましょう。
水泳選手としての自分が省みられました。すべての原因が自分の中にあるととらえると、技術の問題が見えてきて、態度もおのずと謙虚になりました。そういう心の磨きが優勝となり、控えめで礼儀正しい態度になったのでした。」と。
政権が変わって政治のニュースにはことかかない日々ではあるが、社会を、日本を緊張感と活気があり、世界の人々から心から感謝されるような国にする原点は、一人ひとりの心の中にあるということを、一人でも多くの日本人に分かって欲しいと思うこのごろである。
まず、隗より始めよ。というところか。
以上
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